写真:北欧へ演奏旅行中の津田昭治先生
私は大学卒業後、小島浩宜先生が故郷の岐阜に帰られるとのことで、次に師事するギタリストを探していました。
いろいろなギタリストのワンレッスンを受講していましたが、そこで津田昭治先生に出会い、長年にわたり、師事することになります。
津田先生は、当時、ヴィラ=ロボスの「12の練習曲」や、バッハの「リュート組曲」の全曲演奏会をおこなうなど、画期的な演奏活動で活躍されていたギタリストです。
津田先生に師事する前は、「誰に習おうか?」などと、生意気にも講師の品定めをしていた私でした。
あるとき、津田先生が教えていらした神田のヤマハの体験レッスンへ・・・。
そのレッスンで、私は津田先生から、見事にその生意気な鼻をへし折られます。
それが悔しくて通い出したのですが、何度も折られ続けて、いつのまにか、何十年も過ぎてしまいました(笑)
津田先生は、もちろん「ギタリスト」ですが、「ミュージシャン」と言ったほうが正解かもしれません。
前述の通り、ギターが素晴らしいのは私が言うまでもありませんが、その音楽はギターの枠を超えています。
レッスンでは、
「楽譜のこの部分は、ブラームスの交響曲にも出てくる・・・と同じ構造」
「この部分は、ジャズのコード進行・・・」
など、ギターにかぎらない音楽全般における引き出しの多さ、見識の広さに驚かされます。
また、ミュージシャンとして必要な、即興力、初見力にもスゴいものがあります。
それは本来、モーツァルトやショパン、リストなど、サロンを中心に活躍していた演奏家が持っていた自由な能力でもあり、現代の演奏家に失われてしまった部分なのかもしれません。
レッスンの際に、津田先生はその場でササっと楽譜を手書きされ、私はそれをよく頂戴しました。
いまでは随分とたまって、私の宝物となっています。
ですから、津田先生のレッスンは、「ギター」を教わっているというよりは、どこに出ても通用する共通言語「音楽」を教わっている感じだということです。
楽譜から和声、音楽を読み取る力を教わると同時に、ある時には楽譜を超えて音楽を創る自由さも、学んだ気がします。
津田先生は、弟子を取らなかったハワイの巨匠 ハーブ・オータ氏の稀有な愛弟子として、ウクレレの世界でも活躍されていますが、ウクレレも数多くの引き出しの1つなのかもしれません。